ミラノ・コルティナ2026でも注目されるカーリング選手・近江谷杏菜(おおみや あんな)さん。
検索では「結婚」「子ども」といったプライベート面への関心も多い一方で、実は父親が元オリンピアンのカーリング選手という“競技一家”の背景も大きな特徴です。
この記事では、結婚・子どもの情報を一次情報ベースで整理しつつ、父親や家族構成、そして代表級に至るまでの経歴をまとめます。
近江谷杏奈は結婚していない?子どもはいるのか最新情報を調査
近江谷杏奈さんは2026年現在、結婚しているという公式発表はありません。
子どもがいるという事実も確認されていません。
最新情報を調査しても、所属チームやSNS、報道を含めて結婚に関する発表は出ていない状況です。
そのため、近江谷杏奈さんは現在、独身の可能性が高いです。
ではなぜ「結婚しているのでは?」という噂が出たのでしょうか。
知人の結婚式に出席した投稿があったことから、誤解した人もいたようです。
これだけ美人な近江谷杏奈さんですから、結婚しているのでは?と思う人も多いかもしれませんが、今はミラノ・コルティナ五輪に照準を合わせ、競技に集中しているのかもしれませんね。
フォルティウスの中で結婚しているメンバーは誰なのか気になりますよね。
スキップの吉村紗也香さんの結婚事情については、こちらに詳しくまとめています。

近江谷杏奈の父親は元カーリング選手!親子2代の五輪の物語

近江谷杏菜選手の父は、長野五輪に出場した元カーリング選手です。
父・近江谷好幸(おおみや よしゆき)さんの存在は、近江谷杏奈さんの競技人生に大きな影響を与えています。
実は、父娘そろって冬季オリンピックに出場しているという、すごい経歴の持ち主なんです。
カーリングの本場・北海道常呂町で育ち、自然と氷の世界が身近にある環境だったことも大きいですね。
近江谷好幸さんは、1998年長野オリンピックで日本男子カーリングチームのメンバーとして出場し、5位という好成績を残しました。
この活躍は、まだ日本でカーリングの知名度が高くなかった時代に、大きな注目を集めました。
さらに、ソルトレークシティー五輪ではコーチも務めており、日本カーリング界を長く支えてきた人物でもあります。
女子カーリング日本代表の近江谷杏菜選手の家族として応援旗を受け取った、父親の近江谷好幸さん(67)は自身もオリンピアン。1998年長野オリンピック男子カーリング日本代表のセカンドで出場した。次ぐ2002年ソチオリンピックでは女子日本代表(シムソンズ)のコーチとして出場している。
引用:株式会社伝書鳩 近江谷選手、小野寺選手の父親
近江谷杏奈さんは10歳の頃からカーリングを始めていますが、そのきっかけの一つが父の存在でした。
オリンピックという大舞台を経験した父の背中を見て育ったことは、間違いなく大きな原動力になっていますね。
父の背中を追って、2010年に近江谷杏奈さんはバンクーバー五輪に出場します。
これにより、父娘2代で冬季オリンピック出場という快挙が実現しました。
そして、近江谷杏奈さんは、2026年にミラノ・コルティナ五輪で16年ぶりにオリンピックの大舞台へ。
近江谷好幸さんも娘の活躍を楽しみにしているでしょうね。
近江谷杏奈の家族構成まとめ|カーリング一家として育った環境
近江谷杏奈さんは、カーリングと深く関わる家庭で育ちました。
父が元オリンピック選手というだけでなく、家族全体が競技を支えてきた環境があります。
ここでは、近江谷杏奈の家族構成と、競技一家としての背景を詳しく見ていきます。
近江谷杏奈の家族構成は何人?
近江谷杏奈さんの家族構成は、4人家族だと思われます。
- 近江谷好幸(父)
- 母
- 近江谷杏奈(本人)
- 近江谷七海(妹)
近江谷杏奈の母や妹はどんな人?
近江谷杏奈さんの母について、詳しいメディア露出はありませんでした。
近江谷杏奈さんの妹は、カーリング選手を目指していたという情報があります。
実妹の近江谷七海も、父、姉同様にカーリング選手を目指している。
引用:Wikipedia
ただ、近江谷七海さんについて検索すると、2010年頃の記事までしか出てこないので、もしかすると現在はカーリングを続けていないのかもしれません。
父と妹もカーリング経験者ということになるので、カーリングが生活の一部となる家庭環境で育ったことが伺えます。
カーリング一家として育った環境
近江谷杏奈さんは、まさにカーリングとともに育った選手です。
北海道北見市常呂町は、日本カーリング界を支えてきた名門地域です。
幼いころからリンクが身近にあり、自然と競技に触れる環境が整っていました。
父・近江谷好幸さんがオリンピックに出場した経験を持っていることもあり、家庭内でカーリングが特別な存在だったことは想像できます。
トップレベルの舞台を知る父の存在は、大きな刺激になったはずです。
ジュニア時代から全国大会で活躍し、高校時代には全国高校カーリング選手権で連覇を達成しています。
こうした実績は、才能だけでなく、家庭環境と積み重ねてきた努力の結果です。
カーリングを日常の延長として取り組める環境があったからこそ、長く第一線で戦い続けているのでしょう。
家族の支えと地域の文化が重なったことが、近江谷杏奈さんの土台になっていますね。
近江谷杏奈の経歴|16年越しの五輪復帰までの道のり
近江谷杏奈さんは、16年ぶりにオリンピックの舞台へ戻ってきたカーリング選手です。
2010年のバンクーバー五輪出場から長い年月を経て、再び五輪出場を決めました。
この復帰は、決して簡単な道のりではありませんでした。
所属チームの変化やスポンサーの撤退など、環境の変化も経験しています。
それでも競技を続け、再び世界の舞台に立つ姿は本当にすごいですよね。
ここからは、ジュニア時代から現在までの歩みを振り返っていきます。
バンクーバー五輪から現在までの歩み
近江谷杏奈さんは、小学4年生でカーリングをはじめ、高校卒業後の2008年にチーム青森へ加入しました。
そして2010年、20歳でバンクーバー五輪に出場しています。
当時はサードとして出場し、日本代表の一員として世界と戦いました。
その後、2014年に北海道銀行フォルティウスへ加入。
日本選手権優勝や世界選手権出場など、着実に実績を重ねてきました。
2021年にはチームがクラブチームとして独立するなど、大きな転機もありました。
環境が変わっても競技を続け、2026年ミラノ・コルティナ五輪への出場を決めています。
16年という時間の重みを考えると、本当にドラマのような復帰ですよね。
次は、現在所属しているフォルティウスでの活動について見ていきます。
フォルティウスでの現在の活動
近江谷杏奈さんは現在、フォルティウスの一員として活動しています。
ポジションはサードで、チームの要とも言える重要な役割を担っています。
フォルティウスは2021年に北海道銀行のスポンサー体制から独立し、クラブチームとして再出発しました。
環境が大きく変わる中でも、近江谷杏奈さんはチームを支え続けています。
日本選手権や国際大会で結果を残し、2026年ミラノ・コルティナ五輪出場を決めました。
長年第一線で戦い続けていること自体が、実力と信頼の証です。
年齢を重ねてもなお代表争いを勝ち抜く姿は、本当にかっこいいですよね。
競技への情熱と積み重ねてきた努力が、16年越しの五輪復帰につながっています。
次は、そんな近江谷杏奈の基本プロフィールを整理していきます。
近江谷杏奈のプロフィール|年齢・出身地・身長など基本情報
近江谷杏奈さんのプロフィールをまとめました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 近江谷 杏菜(おおみや あんな) |
| 生年月日 | 1989年10月12日 |
| 出身地 | 北海道北見市常呂町 |
| 身長 | 166cm |
| 所属 | フォルティウス |
| ポジション | サード |
近江谷杏奈さんは、北海道北見市常呂町出身のカーリング選手です。
父が元五輪代表という環境で育ち、ジュニア時代から頭角を現してきました。
現在はフォルティウスに所属し、サードとして活躍しています。
食生活ではプラントベースの食品を取り入れるなど、体づくりにもこだわっています。
まとめ
今回の記事では、近江谷杏奈の結婚事情や家族構成、経歴について詳しくまとめました。
- 近江谷杏菜の結婚や子どもに関する公表情報は確認されていない
- 近江谷杏菜の父は長野五輪代表の近江谷好幸
- 小学4年生から競技を始め、2010年バンクーバー五輪を経て、ミラノ・コルティナ2026へ
- 親子2代で五輪に関わる、特別なストーリーを持つ選手である
検索では「結婚」というキーワードが目立ちますが、近江谷杏菜さんの本質は、長年トップレベルを維持してきた競技力と、五輪を知る父の背中を見て育った環境にあります。
2026年の舞台で、その集大成がどのように花開くのか。
今後の活躍から目が離せません。
